生き物が死んで「かわいそう」という感情はおかしいのかな?
世の中には答えがあるようで答えが見出せない問題が沢山あるようです。
ことに「命」のテーマは様々な考え方やその状況が入り混じるから、なかなか答えが揃わないのかもしれません。
どうしてもそこには矛盾が生じるものだから。これらはどちらも無くてはならない事柄や考え方でどちらが正しくて間違っているという話でもないはずですよね。
- 人間が生きるのに必要な衣食住には他の動植物の犠牲の上に成り立つ。
- 動物実験があるから科学が進歩したり、知識や技術を得る事が出来る。
- 生き物をむやみに殺生してはいけない。
- 人間が生きる上で仕方なく殺生をせざる得ない。
ただ、今回の実験において
- 食べられる運命だった卵を人間がどのように扱っても例え殺してもかまわない。
- その理論だと他の動植物(クジラだのメダカだのトマトだの)でも同じ事が言える。
というような話が幾つも出ていますけど、そこまで飛躍する話でもないのでは。
何にしても人間が生きる上で「他の生き物の犠牲」が必要なのはごく当たり前の事です。
そんな事言ってたら明日ゴキブリ退治しなくちゃいけないのに、出来なくなっちゃうw
私がこの実験を見たのは携帯からです。
はてブをする際、大半を携帯で行なっています。
ゆえに写真をほとんど見ないで文章のみを読んだ上で『途中で割られている卵』の部分を読んだ時の「違和感」を感じたままに書いています。
つぎにPCで見た時に、割られた卵と「中身」の写真と、ヒナが生まれたときの写真を見ています。
なので可愛いという感覚や感動とは違う「かわいそう」といった感情を得る状況にあったのかもしれませんね。
その時読んでいると、みんな「可愛い」「感動」と言っているけれど、『途中で割られている卵』…
これは実験だからといって割らなくてはいけないものだったのか。
『食べられるはずだった卵が孵化するかもしれない。孵化した。』というのには感動とワクワクするものがあるのはわかります。
ただ『食べられるはずだった卵が温められて、そのままいけば孵化してヒナになったかもしれない中身』を見た時に、ちょっと「かわいそう」というかなんともいえない違和感を覚えました。
将来、もしも子供が出来た時に、子供に質問されたとしたらどう答えるのだろう?
「なぜ、この卵は割られなくっちゃいけないの?」
「これはヒナになろうとしていたの?なぜ死ななくてはいけなかったの?」
その状況になった物凄く困ると思う。果たして答えられるのかな自分。
しかし、「良いんだよ。仕方なかったんだ。どうせ食べられるはずの卵だったんだ。人間は動物を殺して生きているんだよ」「虫を死なせる事はお前の為になるんだ」とは言えない。絶対無理。
卵を温めようとした事はあるし、実験だから仕方ないというのも分かる。
生命倫理とか難しい事は分からない。
ただ、こうした哀れんだりする気持ちが自分でおかしいとも思えないのです。
可哀相という感覚もまた人間が生きる上で必要な感覚じゃないんですかね。
実験だから実験動物だからと割り切れたら良いのでしょうけれど。
ちょっとこの実験に対しては難しそうです。
【@nifty:デイリーポータルZ:スーパーのうずら卵から、ひな鳥ピヨピヨ!】
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